沖永良部酒造(株)に加盟する四つの蔵の一つ、(有)神崎産業の創業は昭和25(1950)年。代表兼杜氏の神崎ハツエが、沖永良部島南部の現在地で創業した。
夫の神崎定光の同級生だった当時の税務署長より酒造免許を交付されることとなり、公務員だった夫の代わりにハツエが代表に就いた。
作りは定光の母・スミが大島の蔵で酒造りをしていた経験を持つ義兄鼎新安(かなえみいやす)氏により黒糖焼酎の製造技術を習い、免許交付から1年経った昭和26(1951)年10月よりスミとハツエの二人体制で黒糖焼酎を造り始めた。創業時の銘柄は【幸福】
夫の神崎定光の同級生だった当時の税務署長より酒造免許を交付されることとなり、公務員だった夫の代わりにハツエが代表に就いた。
作りは定光の母・スミが大島の蔵で酒造りをしていた経験を持つ義兄鼎新安(かなえみいやす)氏により黒糖焼酎の製造技術を習い、免許交付から1年経った昭和26(1951)年10月よりスミとハツエの二人体制で黒糖焼酎を造り始めた。創業時の銘柄は【幸福】
代表者/杜氏